陳建一の経歴と学歴まとめ!肩書きや受賞歴が多才&ほっこりエピソードも

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「中華の鉄人」などで一躍有名になった料理人の陳建一さん。

2023年3月14日に陳建一さんの訃報が報じられました。

原因は「間質性肺炎」とのことで、闘病生活を送られていたようですね。

そこで今回は陳建一さんの経歴や学歴について調査しました。

テレビに出演しているイメージが強い陳さんですが、生い立ちや料理人への道は果たして…。

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陳建一のプロフィール

陳建一さんの訃報は、2023年3月14日にニュース報道されました。

陳さんは料理の鉄人では「中華の鉄人」としてその名を轟かせ、四川料理の第一人者的存在となりましたね

生前は「間質性肺炎」を患っており闘病生活を送られておりましたが、3月11日に東京都内の病院でお亡くなりになってしまいました。

年齢は67歳でした。

そんな陳建一さんでしたが、一体どのような人物だったのでしょうか。

まずはプロフィールをご紹介させて頂きます。

  • 名前:陳建一
  • 読み方:ちん けんいち
  • 本名:東建一 (あずま けんいち)
  • 生年月日:1956年1月5日
  • 年齢:享年67歳
  • 出身地:東京都
  • 職業:料理人、調理師、料理研究家
  • 趣味:ゴルフ
  • 家族構成:嫁、息子1人(陳健太郎)

陳建一さんは1956年1月5日生まれの、現在は67歳でした。

料理の腕前はもちろんですが、趣味のゴルフもプロ級だったようです。

中国人の父親•陳建民と日本人の母親とのハーフ

ご両親は父親が中国人で母親が日本人となり、陳建一さんはハーフとなります。

父親の名前は「陳建民(ちん けんみん)」さんといい、日本では「四川料理の父」と言われる凄いお方なのです

(尚、お父様は70歳で他界されております。)

実は陳建一さんのお父様は結婚後に日本へ帰化されていたので、建一さんは出生時には既に日本国籍だったのだそう。

ただ、料理番組やメディア上では父の旧姓である「陳」姓を名乗っていたようです。

では、そんな陳建一さんの経歴については次で見ていきましょう!

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陳建一の経歴まとめ!肩書きや受賞歴が多才すぎる&ほっこりエピソードも

ここでは陳建一さんの経歴について調査しました。

人気テレビ番組「料理の鉄人」でのイメージが強い印象ですが、一体どのような過去を歩んでこられたのでしょうか。

肩書きが多数

まずは陳建一さんの肩書きを整理すると、以下のようになります。

•四川飯店グループオーナーシェフ
•民権企業(四川飯店グループ) 株式会社代表取締役社長
•公益社団法人 日本中国料理協会会長
•一般社団法人全日本•食学会理事

うーん、何やら一般人には難しい?肩書きを多数お持ちのようです。

ですが、実は意外にも幼少期は野球選手に憧れていたとのこと。

陳建一さんが料理人になることを決めたのは高校生の頃で、実際に修行を始めたのは大学卒業後だったようです

そこから父の経営する赤坂四川飯店で修行を積み、現在に至ります。

受賞歴も多数

そして、陳建一さんの以降の経歴がこちら。

  • 1990年:父•陳建民が他界し、四川飯店グループの後を継ぐ
  • 1993年:料理の鉄人に「料理の鉄人」として出演
  • 2006年:「東京マイスター知事賞」受賞
  • 2008年:「現代の名工」受賞
  • 2011年5月:日本中華料理協会会長に就任
  • 2013年:「黄綬褒章」受賞
  • 2014年:四川飯店グループ取締役会長に就任

数々の賞を受賞しておられる、超一流の料理人であることが分かりますね。

お父様に負けず劣らず、凄い経歴をお持ちのようです。

最初に作った料理はマカロニグラタンだった

超絶ベテランな料理人の陳建一さんですが、最初に作った料理がなんと「マカロニグラタン」だったとのこと

日頃から四川料理ばかりを食べていたので、他の物が食べたかったのでしょうか。

きっかけは、小学校2〜3年生の頃に行った銀座の不二家レストラン。

そこでの「ホワイトソースのマカロニグラタン」に感銘を受け、料理本を見て作ったのだそうです。

一流の料理人らしからぬ、かわいらしいエピソードに思わずほっこりしてしまいますね(笑)

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陳建一の学歴まとめ!出身校一覧

続いては陳建一さんの出身校について深掘りしていきます。

調査をしたところ、以下の学歴が判明しております。

•出身小学校•中学校:東京中華学校(小学部、中学部)
•出身高校:学校法人玉川学園 高等部
•出身大学:玉川大学 文学部英米文学科

それでは、1つ1つ見ていきましょう!

出身小学校•中学校:東京中華学校(小学部、中学部)

陳建一さんの出身小学校•中学校は「東京中華学校」の小学部、中学部です。

幼少期の頃は料理ではなく、野球選手に憧れていたとのことで意外ですよね。

ここまでの知名度をお持ちでしたので、てっきり子供時代から料理一筋かと思いましたよ?

尚、当該学校は小中高一貫校の中華民国(台湾)系の中華学校となり、理事には王貞治さんが名を連ねているとのことでした。

出身高校:学校法人玉川学園 高等部

続いて陳建一さんの出身高校は「学校法人玉川学園 高等部」でした。

先でご紹介した「東京中華学校」は小中高の一貫校でしたが、高校は玉川学園に通われております。

高校時代を東京中華学校で過ごさなかったのは、何か理由があったのでしょうか。。

ちなみに東京中華学校に高等部ができたのは1957年とのことで、陳建一さんが生まれた翌年には、小中高一貫校となっていそうなところ。

こちら詳しく調べてみたのでしたが、ネット上には情報が出ておりませんでした。

まぁ、高校時代から料理人への道を志しておられますので、高校で何かきっかけがあったのかもしれませんね。

出身大学:玉川大学 文学部英米文学科

出身大学は「玉川大学 文学部英米文学科」を卒業しておられました。

高校から引き続き玉川大学で学んでおられたようです。

そして大学を卒業後、父の経営する「赤坂四川飯店」で修行を積むこととなります。

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父との比較がプレッシャーだった…

ここまでのご紹介で、陳建一さんの凄さが伝わったでしょうか。

数々の経歴をお持ちのようですが、実は父•陳建民さんとの比較で、大変プレッシャーを感じていたこともあったそうです

お父様の陳建民さんといえば、日本に麻婆豆腐など四川料理を広めた張本人でもあります。

偉大なるお父様の元で修行したとはいえ、どうしても比較をされてしまうことは避けられませんね。

尚、この件に関しては、陳建一さん本人がインタビューを受け回答をしておられました。

そこで、陳建一さんから出た言葉が、以下の通り。

•レシピだけでまったく同じ味を出すのは無理
•親父の味を目指すことは無理だと気づいた時、初めて自分の道が開けた
•自分のこれからのお客さまに、エネルギーをかける

自分以外の誰かと全く同じ味にするのは、極めて難しい話ですよね。

私自身も、よく行くラーメン屋の店長が変わった時、なんとなく「味が変わった?」と思うことがありました。

しかし、好みの違いはあれ、あまり気にしなかったことを覚えております。

ナンバーワンよりもオンリーワン

陳建一さんがお父様を超えるとか超えないとかは、消費者からするとどちらでもいいのかもしれません。

もしかしたら、どのジャンルでも目指すべき道はオンリーワンなのかもしれませんね。

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