「17歳で町内会長になっちゃった人」として注目を浴びている金子陽飛(はるひ)さん。
現在はベンチャーの取締役社長を務めている、凄いお方なんです。
今回はそんな金子陽飛さんとは一体何者なのか、wikiプロフィールや経歴に迫ってみました。
学生時代は不登校だった過去があるようですが、どのように成功されたのかとても気になりますね。
金子陽飛(はるひ)は何者?wikiプロフィールを調査!
2023年4月3日放送の「激レアさんを連れてきた。」に出演される金子陽飛さん。
「17歳で町内会長になっちゃった人」と紹介されており、何ともキャッチーですよね。
一体、彼は何者なのでしょうか。
まずはwikiプロフィールをご紹介致します。
プロフィールまとめ
- 名前:金子陽飛
- 読み方:かねこ はるひ
- 生年月日:2003年?
- 年齢:20歳 (2023年4月現在)
- 出身地:鹿児島県鹿児島市唐湊(とそ)山の手
- 家族構成:父、母、4人の兄弟 (本人は5人兄弟の長男)
金子陽飛さんは2022年7月の朝日新聞で、若者の選挙活動に関する記事でクローズアップされておりました。
当時の年齢が19歳と出ていたことから、逆算すると生年月日は2003年の可能性が高いですね。
そんな金子さんですが、現在では町内会会長や会社の取締役社長など、若くして成功をされたお方なのです。
しかし、今の姿からは考えられない程、学生時代には苦労をしていたのだそう。
不登校の中学時代が壮絶!
金子陽飛さんの中学時代について。
実は中学1年から中学2年までは、引きこもりで不登校だったようです。
当時、勉強が大の苦手だった金子さんは、学校で教わる5教科が苦痛で手がつけられなかったとのこと。
父親が大学教授ということもあり、プレッシャーが強烈で不登校になってしまったのだそうです。
勉強に関しては、理想と現実があまりにも離れており、限界を感じてしまったのですね。
以降、学校には行かずに、ゲーム三昧の日々を過ごすことに。
しかし、ゲーム生活にも次第に飽きてきたようで、中学3年生の時は週に2•3回は登校されていたようです。
ただ、ここで凄いのは、ご両親の対応です。
普通の親なら強制的に登校させようとするでしょうが、金子さんの両親は強制はしなかったとのこと。
陽飛さんの意志を尊重し、教育をされていたようですね。
普通の学生なら、中3で学校に復帰なんてできないのでは?
と、思ってしまいました。。
途中復帰されたのは、本当に頑張られたのだなと思います。
学生時代は何かと苦労をされた金子陽飛さん。
しかし、今では数々の肩書きを持ち、テレビ出演されるまでの成功を収めました。
人生を逆転させた金子さんの秘訣とは一体何だったのでしょうか。
次の章で、経歴についてまとめてみました!
金子陽飛の経歴が壮絶!不登校•引きこもりから社長に一転か?
ここでは金子陽飛さんの経歴について調査しました。
高校時代に町内会長を経験し、10代で社長になった青年の成功ストーリーをご紹介しましょう!
- 通信制高校3年生で町内会長へ
- なぜ町内会長になったのか?きっかけは父の一言
- 現在は会社の社長に就任
通信制高校3年生時代に町内会長へ
中学を卒業された金子陽飛さんは、通信制の「角川ドワンゴ学院N高等学校」に進学しました。
そして高校3年生の頃に、地元•鹿児島(唐湊山の手)の町内会長に就きます。
町内会活動を通じ、国会議員の役割は地域活性化の大きな道筋を決めることだと思うようになった。「参院は任期が6年。中長期的な『地域の未来像』をどう描くか」。各候補の考えを知りたいという。
引用:南日本新聞
ただ、当時の金子さんは町内会長の仕事内容など何も分からないまま、挑んだのだとか。
元々、動画編集に興味があり、入り口としては「動画撮影者兼編集者」から呼ばれたのだそうです。
その頃、父親の金子満准教授は、学生たちと一緒に地域活性化プロジェクトに参加されていました。
父は活動の中で、仕事で参加できない方々に向け、町内会議の模様を動画で配信されていたようです。
そこで陽飛さんが、動画撮影&編集で、プロジェクトに参加することとなったのですね。
なぜ町内会長になったのか?きっかけは父の一言
では、一体なぜ引きこもりがちだった青年が、町内会長に就いたのでしょうか。
そのきっかけは、以外にも父親の影響だったそうです。
当時、金子家が町内会の当番になった時、会費を払ってるにも関わらず、忙しい仕事を割り振られた時があったのだそう。
家族内で町内会に入る意味が分からなくなってしまった経験があったそうで。
その時に父が何気なく、「お前が(町内会長を)やってみたら!」と冗談半分で陽飛さんに言ったのが始まりだったようです。
結果、陽飛さんはワクワクして、町内会長をやってみたいという気持ちが芽生えたそうですよ!
新旧の当番が引き継ぎのため集まった会合では「会長だれがやる?」という声に、だれも手を挙げない。ほとんどの方は初対面で、世帯主でもない自分がそこにいるのも場違いな感じでした。それでも「チャレンジしたいです」と言うと、最初は困惑していた大人たちも、やがて拍手で認めてくれたんです。
引用:朝日新聞DIGITAL
金子陽飛さんは通信制高校で学んでいたため、時間には融通がきいていたので、合間の時間を縫って活動をされていたそうです。
現在はフルハークウィル株式会社の社長に就任
マニフェスト大賞2022受賞事例研修会(DAY1)参加者投票によるプレゼンテーション賞、第1位は唐湊山の手町内会会長・金子陽飛さん!#マニフェスト大賞 pic.twitter.com/Nn3ZTPRZr3
— 亀井 誠史 早稲田大学マニフェスト研究所 (@kamei2011) November 9, 2022
17歳で町内会会長を務めた金子陽飛さんですが、現在はなんと会社の社長として就任されているようです。
会社名は「フルハークウィル株式会社」で、大学発のベンチャー企業となります。
一体、どのような会社なのでしょうか。
リサーチをしたところ、主な業務は以下の通りです。
•まちづくり地域づくりアイディアやアドバイス
•問題解決ワークショップの実施
•子供の学習や遊びに関する相談事業
•その他
地域プロジェクトや講演で日本全国を飛び回っており、とても忙しくされているのだそうです。
また、2022年にはマニフェスト大賞を受賞しており、プレゼン賞ではなんと1位を獲得。
自身のビジネスを他者に伝えることができるのも、本当に凄いと思います!
誰もやりたがらないことをやるのが成功の秘訣か?
中学時代の不登校エピソードが一転し、現在では様々な肩書きを持つ社長•金子陽飛さん。
これまでの経歴を見てきた限り、明らかに「人生が好転した」と感じた話がありました。
それが「誰もやりたがらない町内会長を引き受けた」ということです。
この事例がきっかけで、どんどん成長していく金子さんの姿を見て、勇気づけられた自分がいます。
「誰もやりたがらないこと」、しかし必要なポジション。
ここに勇気を出して飛び込むかどうかで、人生変わってくるのだな、、と。
更には「何から始めたらいいけど、とりあえずやってみた」ということで、自分の背中を押しているところも素晴らしいなと感じました。
私も金子社長を見習い、「とりあえずやってみる精神」で成長していきたいと思った今日この頃です。
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