演歌歌手として活躍されている石原詢子(いしはらじゅんこ)さん。
「みれん酒」などの大ヒットで一躍有名となりましたね。
今回は石原詢子さんはどのような経歴をお持ちなのか、学歴や出身校も調査しました。
大ヒットの裏では「両親他界」という壮絶な生い立ちもあったようで、順にご紹介していきたいと思います!
石原詢子のプロフィール!
ベテラン演歌歌手として話題の石原詢子さん。
一体どのようなお方なのでしょうか。
まずは基本的なプロフィールをご紹介いたします。
- 名前:石原詢子
- 読み方:いしはらじゅんこ
- 本名:石原悦子
- 生年月日:1968年1月12日
- 年齢:55歳 (2023年3月現在)
- 出身地:岐阜県揖斐郡池田町
- 所属:石原音楽事務所
- レーベル:ソニー•ミュージックダイレクト
- 身長:161cm
- 体重:推定40kg台半ば
- 血液型:A型
石原詢子さんは岐阜県出身の演歌歌手です。
現在55歳となりますが、とても50代には見えないほど若々しくお美しいルックスですね。
本名は「石原悦子」といい「石原詢子」はあくまでも芸名のようです。
では、芸名の「詢子」とはどこからきたのでしょうか。
名前の由来を調べたところ、『詢』という字には『まこと』という意味があるのだそうです。
後述しますが、石原さんは詩吟以外にも詩舞や剣舞の師範代もされており、多彩な才能をお持ちのようですね。
人の精神は「まことの心」が最も純粋であることからも、「詢子」という芸名をつけたのでしょうか。
そんな石原詢子さんの経歴については、次の章で詳しく見ていきましょう!
石原詢子の経歴がベテランすぎる!12歳で師範代に!
ここでは石原詢子さんの経歴について調べてみました。
現在55歳となりますが、彼女の生い立ちはどのようなものか非常に興味深いところです。
現在に至るまでの経歴を、以下のようにまとめてみました。
- 優秀な生い立ち
- 父親に反対されながらも上京
- 歌手デビューと主な経歴
- 両親が他界
では、1つ1つ見ていきましょう!
優秀な生い立ち
まずは石原詢子さんの生い立ちについて。
石原詢子さんは、詩吟揖水流(しぎん いすいりゅう)家元の長女として誕生しております。
4歳のころから父親より詩吟の英才教育を受けておりましたが、それはそれは厳しい指導だったようです。
そして12歳の頃には、なんと師範代に!
生徒への指導も行っていたようですね。
しかし、小学校高学年の頃からは、歌手への憧れを抱き夢を抱き始めます。
歌手志望となったきっかけは、母親の影響なんだそう。
母親が石原さゆりの大ファンだったこともあり、詢子さんも影響されたようです。
父親に反対されながらも上京
歌手を目指した石原詢子さんは、上京することとなります。
しかし、父親が詢子さんの東京行きを猛反対。
当時は高校卒業後に東京へ行く準備をしつつ、父親への説得をしていたのだそうです。
説得は数年に渡り行われましたが、結果としては条件付きでOKが出たのだそう。
その内容は非常に厳しく、4つの条件が課せられていたのです。
- 新聞配達すること
- 自活すること
- 毎日実家に電話すること
- 20歳までに結果を残さなければ実家に帰る
これらの条件でまずは2年間頑張ってみることを決意した石原詢子さん。
一見すると厳しい内容ですが、詢子さんにとっては非常に充実しており、やりたいことに取り組める環境が嬉しかったそうですね。
朝3時半に起床し新聞配達、午前中はうどん屋で働き、午後からは歌や芝居のレッスンを受けつつ、その合間を縫ってコンビニ、居酒屋、レンタルビデオ店のアルバイトという生活を送った。
引用:wikipedia
wikipedia情報によると、数々のアルバイトをしていたことが分かります。
これらのバイトを掛け持ちしながら、ボイストレーニングや演技などのレッスンを受け、歌手になるべく下積みをされていたのだそうです。
歌手デビューと主な経歴
念願の歌手デビューは1988年のこと。
当時20歳の石原詢子さんに、ビッグチャンスが到来しました。
レッスンを受けていたボイストレーナーの先生が、レコード会社やマネージメント会社を紹介してくれたのだそうです!
そして1988年10月には「ホレました」でデビューすることに。
努力の甲斐もあり、とても嬉しかったことでしょう。
以降、代表的な経歴としては以下の通り。
- 1994年9月:「三日月情話」が第27回日本作詩大賞•優秀賞
- 1995年8月:「夕霧海峡」が大ヒット
- 1999年:「みれん酒」が大ヒット
- 2000年:NHK紅白歌合戦に初出場
- 2004年:第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会で国家独唱
- 2007年:岐阜県の「飛騨•美濃観光大使」第一号に就任
- 2018年:「詩吟揖水流詢風会」を発足
現在に至るまで、数々のヒット曲を生み出しました。
両親が他界
デビュー以降、1994年と1995年に連続で大ヒットを樹立した詢子さんでしたが、その裏で壮絶な出来事が起きてしまいました。
なんと、両親が立て続けに他界してしまったのです。
三日月情話と夕霧海峡を挟んだ2週間の間に、父親も母親も相次いで亡くしてしまいます。
歌手としての道を改めて決意したという詢子さん。
本当に強い心の持ち主ですよね。
当時は27歳頃でしょうか。
年齢的には大人だと言われる時期かもしれません。
しかし、18歳で故郷から出てきた少女の生い立ちとしては、とても壮絶ですよね。
もし私が石原詢子さんの境遇なら、人生に絶望し立ち直れていないと思います。
夢に向かってただひたすらに走り続ける詢子さんの生き方に、心打たれるものがありました。
改めて、尊敬すべき演歌歌手さんだなぁ…と。
石原詢子の学歴はFラン校出身?帰宅部の過去も調査!
続いては石原詢子さんの学歴や出身校について調べてみました。
それぞれ見ていきましょう!
出身中学校:池田町立池田中学校
石原詢子さんの出身中学校は「池田町立池田中学校」です。
地元岐阜県の公立中学校に通っておられました。
念のため、偏差値を調べてみましたが具体的には出てきませんでした。
4歳の頃から詩吟を学んでいたこともあり、勉強には時間を裂けていなかったはず。
クラブ活動はしておらず、当時は帰宅部だったとのことでした。
出身高校:揖斐高校
出身高校を調べると「揖斐高校」と出てきました。
揖斐高校については、
- 生活デザイン科(以前は被服科)
- 普通科
の2つの科が存在しております。
ですが、石原詢子さんはどちらの科に在籍していたのかは明らかとなっておりません。
気になる偏差値を調べたところ、共に「39」とのこと。
また、クラブ活動はしておらず、高校時代も帰宅部を貫いておりました。
偏差値だけを見ると一見、「Fラン校?」と思われるかもしれません。
しかし先で見た通り、石原詢子さんは幼少期から詩吟の教育を受けており、12歳から師範代をされておりましたね。
そのことを考えると、とても勉強や部活に打ち込む暇はないのかなぁ…と。
ただ、学生時代からやりたいことがハッキリしており、夢に向かって行動を起こす姿は、本当に学ぶことが多いです。
頭では分かっていても、実行できる人は少ないですよね?
父親には上京を反対されましたが、押し切って結果的に成功しておられます。
天国にいるご両親は、今輝いている詢子さんのことをきっと誇りに思っていることでしょう。
石原詢子さんのこれからのご活躍も、ますます応援していきたいですね!
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