2023年3月10日、石川県白山市の山田憲昭市長の訃報が報じられました。
年齢は71歳で「脳挫傷」が原因だったということです。
今回はそんな山田憲昭市長の過去の経歴を調べてみました。
また、出身大学や高校など、詳しい学歴についても見ていきましょう。
山田憲昭のプロフィール
石川県白山市の市長を務めていた山田憲昭氏。
山田憲昭市長の病気に関しては、2022年12月から2023年1月にかけ、「胆管炎」で入退院を繰り返していたようです。
そして2023年2月28日、市議会の開会日に提案理由の説明中に議場で倒れてしまい、以降体調が心配されておりましたね。
脳挫傷を患ってしまった山田憲昭市長は改めて入院をしておりましたが、3月10日午前3時に体調が急変。
およそ2時間の午前5時頃にお亡くなりになってしまいました。
ご冥福お祈りします。
そんな山田憲昭市長とは、一体どのような人物だったのでしょうか。
まずはプロフィールをご紹介させて頂きます。
- 名前:山田憲昭
- 読み方:やまだ のりあき
- 生年月日:1951年10月8日
- 年齢:享年71歳 (2023年3月10日)
- 身長:170cm
- 体重:82kg
- 血液型:A型
- 出身地:石川県石川郡吉野谷村 (現:白山市佐良)
- 趣味:野球などスポーツ全般
- 職業:石川県議会議員他→白山市長2期
- 所属:自由民主党→無所属
山田憲昭氏は1951年10月8日生まれの、71歳でした。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」を座右の銘として掲げ、活動をされていたようです。
白山市のHPによると、山田憲昭市長の趣味は野球を含め、スポーツ全般とのこと。
確かに良く見ると、政治家とは思えないほど色黒で、ガッチリした体型をされております。
山田憲昭市長は一体、どのような経歴をお持ちなのでしょうか。
次で具体的に見ていきたいと思います!
山田憲昭の経歴が超優秀!2期連続で白山市長
ここでは山田憲昭市長の過去の経歴について調査しました。
山田憲昭氏は第4代•第5代と、白山市長を2期連続で務められたお方であります。
在任期間は2014年12月5日から、お亡くなりになる2023年3月10日まで。
山田憲昭市が白山市長になるまでの経歴については、以下の通りです。
- 1983年4月:吉野谷村議会議員
- 1987年5月:吉野谷村議会議長
- 1988年10月:吉野谷村長
- 1995年4月:石川県議会議員
- 2006年9月:石川県議会副議長
- 2012年3月:石川県議会議長
- 2014年12月:白山市長
こうして一覧で見てみると、1983年〜2014年の31年間で、確実にキャリアアップをされていたことが分かりますね。
「吉野谷村」は石川県の南に位置する1つの村です。
まずは吉野谷村の議会議員から政治家活動をスタートした山田憲昭氏。
2期連続で白山市長を務めましたが、3期目任期開始後の2022年12月、難病の胆管炎が山田市長を襲います。
そして金沢大学附属病院に入院。
そこからやむなく闘病生活を送ることとなり、現在に至るようです。
山田憲昭の学歴は金沢工業大学卒!出身高校は白山市のどこ?
続いては山田憲昭市長の学歴や出身校について調べてみました。
出身大学:金沢工業大学 土木工学科
調査の結果、最終学歴は「金沢工業大学(土木工学科)」を卒業されていたことが判明しました。
山田市長が大学を卒業したのは1975年3月のこと。
金沢工業大学の学科を調べたところ、土木工学科の名称は現在では「環境土木工学科」となっておりました。
偏差値は52〜53で、学校自体は私立大学となります。
山田市長の生年月日は1951年10月ですので、大学を卒業した時は23歳ですよね。
年齢的なことを考えると、1年間の浪人or留年をしていたのでしょうか。
更に、山田市長が初の議会議員になったのが1983年4月のことです。
そのため、政治業界には31歳からデビューしたことになりますね。
出身高校は白山市のどこ?
山田憲昭市長の出身高校を調べたところ、現時点では公表されていないようです。
しかし、出身地は「石川県石川郡吉野谷村(現在は白山市佐良と合併)」と出ておりました。
山田憲昭市長は石川県の大学に通われていたため、卒業した高校も地元の学校だと考えられます。
白山市にある公立高校を調べてみたところ、以下の4校がヒットしました。
出典:gakkou.net
もしかしたら、この中に出身高校が含まれているかもしれません。
ただ、もう少しエリアを広げると候補の学校も増えてきますし、私立高校に通われていた可能性もあります。
あくまでも上記の高校は推測に過ぎませんので、山田市長の出身高校については続報を待ちたいところです。
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